やりたいことがわからない。

どうやったら、やりたいことって見つかるんだろう。

これずっと思ってたなぁ。

この悩みをどうやって乗り越えてきたか興味ある?

ボクの場合、

「わかんなくていいや」

って、「やりたいことを見つけなくちゃいけない」を放り投げた(笑)

どーでもいいや!って。

この囚われはボクにとって、かなり苦しいものだった。

やりたいことがわからない、もしくは、やれていないオレは生きる価値がないだの、つまらない人生になるだの、

いろんな囚われがあった。

存在への価値が芽生えるほど、大丈夫!と思えるようになってきた。

そもそも、やりたいことって頭で考えてもわかるわけない。

『やりたい』ってのは衝動であり、理屈もなく内側から湧いてくるもの。

頭で考えたところで、

何をやったらモテるだろうか
何をやったら注目されるだろうか
どうすれば効率がいいんだろうか
お金がかからない方法はないんだろうか

とかって、損得だの、生産性だのって余計なこと考えて、本当にワクワクするやりたいことなんて出てこない。

このことは、YouTubeで誰かが話してて「たしかに!」って思ったことがあって、それをきっかけに「やりたいことがわからない」を放り投げた。

子どもの時って、やりたいことが何なのかとか考えてなかった気がするな。

走りたかったら走って、

サッカーしたかったらサッカーして、

駄菓子屋に行きたかったら行って、

喧嘩したかったら喧嘩して、

全てではないにしても、衝動に従ってたと思う。

だから多分、やりたいことって頭で考えることじゃないんだよね。

あと、他にも似たような思い込みを持ってた。

それは、

「やりたいこと(好きなこと)を仕事にしなきゃいけない」

ってやつ。

これ考えている時って、なかなか行動できなかった。

これやるぞ!って思った時があったとしても、

「あ、でもこれって、本当にオレがやりたいこと(好きなこと)なのかなぁ」

って頭でよぎった瞬間、行動がストップする。

行動しないから、結局なんにも生まれず。

行動しない自分にダメ出しして、さらに落ち込んでいくやつをやってた。

この「やりたいこと(好きなこと)を仕事にしなきゃいけない」も、放り投げた。

どっちでもいいやん、って今は思ってる。

今の仕事だって、やりたいことなのか好きなことなのかはわからない。

でも、スキルがあって、それを提供したら喜んでくれる人がいて、ご飯食べられて生活できてて、超幸せなんだよね。

で、放り投げてきた結果何が起きてるかというと、やりたいことや好きなことがわかってきた。

何だよそれ!って思う。けど、放り投げて心にスペースが出来たからこそ、わかるようになってきたんだろうな。

読書が好き
水彩画を書くのが好き
雲を見ながら未来を妄想するのが好き
教えることが好き
話を聴くことが好き
文章で表現することが好き
詩吟が好き
モノマネが好き
家事が好き
タオルを手に持ってるのが好き
ミッフィーが好き
運転しながら大声で歌うのが好き
清潔なのが好き
呪術廻戦が好き
リラックマが好き
香りが好き
手書きで書くことが好き

ボクの場合、「あ、やってみたいかも」と閃いて、実際にやってみて、それでも楽しかったら続けるようにしてる。

「やりたいことって何だろう?」

って、頭で考えるよりも、

「あ、やってみたいかも」をやってみる。

今はこのやり方で、どんどん人生が豊かになってきてる。

つくづく思うのは、

【理性】先行じゃなくて、【感性】先行だなってこと。

閃きは、人生が煌く種である。

おっ!カッコよくない?(笑)