今朝、ふと「あ、日記ブログ書きたいなぁ」と閃いた。

閃いたもんだから、とりあえず書き始めてる。

すぐに書き始めた僕を褒め称えたい。

なぜかというと、閃いても「エゴ」が働いて、行動に移さないことがほとんどだから。

この状態を、『願望の中絶』だとあるセラピストが表現してくれた。

言葉はきつかったけど、まさにその通り。

それくらい言ってもらわないと、心に刺さらないくらい感性が鈍くなっているのかもしれない。

いつもなら、どんなエゴが働くかと言うと・・・

「日記ブログとか誰も読まんし、意味なくねぇ」

「そんなもん書いても仕事に繋がらんし、時間の無駄」

こんな感じで、いちいち思考がうるさくなる。

エゴだけで生きるなんて、本来のパワーの1%程度しか発揮できてないというのに。

でもそのエゴが全てだと思いこんで生きている。

エゴ強敵である。

でももうエゴと戦わない。エゴが働いても、「うん、ちょっとあっち行っててね」と軽くいなして、湧いてきた直観・閃きを、僕の体を通して体験していく。

僕のエゴの癖は、「不安」と「心配」と「恐怖」が約90%を占めている。なので体はガチゴチにいつも緊張している。

でも、どれもこれも幻想。まぼろし。IKKO。

まぼろし〜〜〜〜〜〜〜〜

なのだ。

エゴ「日記ブログとか誰も読まんし、意味なくねぇ」
⇒ 本当は、誰にも読んでもらえない恐怖を抱えていて、虚勢を張っている表面の言葉。

エゴ「そんなもん書いても仕事に繋がらんし、時間の無駄」
⇒ 本当は、意味のないことに時間を使う不安。

エゴさえ相手しなければ、即行動に移せるようになる。

日記ブログを書いているけど、これを続けたところで、何か成果が生まれると期待しない。

そもそも、日記ブログを書いてる、今の僕の気分がいい。なぜかって?

やりたいことが、ただやれているから。

本質を突きすぎているかもだけど、本質を生きるって、このフェーズなのかもしれない。

超怖いけど。

正確に言うと、エゴが怖がっている。

これまで、運転席を占有し続けてきたエゴが、

「おれが運転しないと事故るぞ!」

と怖がりながら僕を脅してくる。

大丈夫。事故らない。てか、あんたのせいでいっぱい事故ってきたし。なのでしばらくおだまりください、だ。

これ書いている今この瞬間も、「なに?この時間。意味なくねぇ」とか言ってる。

エゴは本当に「意味」を求めてくる。意味があるのかないのか。

僕が存在していること自体に意味があるから、何をしようと広い視点ですでに意味があるのだ。

って書いたら、エゴが静かになった。

エゴを適当にあしらっているようだけれども、今はただその段階にいるだけ。本当はめっちゃ愛くるしいやつ。いつも僕を助けようと必死なんだ。

今思ったんだけど、これ日記ブログ?