男性には男性が社会で認められ成長・成功していくストーリーがあります。それが、ジョーゼフ・キャンベルが提唱する「英雄の旅(ヒーローズジャーニー)」。
少年が平凡な日常生活から旅立ち、突然「冒険への誘い」を受け、それに怖れを感じて「冒険の拒絶」をするも超自然的な力を備えた「賢者と出会い」、最初の境界の越境をして「試練の道」に挑みます。
その「通過儀礼」の果てに「女神との遭遇」があり、立派な「ヒーロー(英雄)」になって故郷に「帰還」します。
しかし、女性には女性の本当の自分を取り戻すストーリーがあります。それが「ヒロインの旅(ヒロインズジャーニー)」です。
いまだ社会では、男性性の力(与える力)が要求される勝負の世界であり、女性性の力(受けとる力、ゆるす力)が評価されることはほとんどありません。こういった見えないけれども、必要とされる真実の力が生かされるチャンスはなかなか巡ってきません。
そのため、女性一人ひとりにおいても、男性性の力が優位にはたらき、女性性の力に価値が見いだされない状況が生まれるという、かなりバランスが悪い状況を作り出してしまっています。
そのため、女性たちは、今ある男性社会で成長し成功していくストーリー(ヒーローの旅)だけでは乗り越えられない課題があるように感じます。
男性は、「英雄(ヒーロー)」になりたい。
それと同じように、
女性は、「女神(ヒロイン)」になりたい。
男性は、英雄願望を。
女性は、女神願望を抱いているのです。
そこで今回は、モーリーン・マードックの『ヒロインの旅 女性性から読み解く<本当の自分>と創造的な生き方』を読んだので紹介したいと思います。
女性には女性の旅を「ヒロインの旅」全体像
「ヒロインの旅」は「英雄の旅」と似ているようで、まったく違うものでした。
本のイントロダクションに書かれている一節。
マードックがキャンベルに「英雄の旅」について話を伺った際、このようなことを言われたそうだ。
「そもそも女には旅は不要だ」と。
しかし、マードックは、「女も旅をする。自分の価値を知り、心の傷を癒して、女らしさを享受する旅だ」と主張しています。
「ヒロインの旅」は、自分の内側への旅。
「英雄の旅」は、自分の外側の旅。
まさに女性性と男性性の性質があらわになっていることが印象的でした。
「ヒロインの旅」の全体像はこうです。
女性性からの分離
↓
男性性と自己同一視と仲間集め
↓
試練の道
↓
成功の幻想
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精神の乾きを知る
↓
通過儀礼と女神への下降
↓
女性性を見直す
↓
母/娘の分離の修復
↓
傷ついた男性性の修復
↓
男性性と女性性の統合
「ヒロインの旅」は、「女性性からの分離」から始まり、「男性性と女性性の統合」で終わります。
ここからは、私の解釈も交えながら、「ヒロインの旅」の概要を解説していきます。
女性性からの分離
ヒロインの旅は、母親離れをすることから始まります。女らしさを捨てることから始まるとも言えるかもしれません。
幼少期から思春期にかけて、娘はこんな母にうんざりします。
- いつも怒りっぽい
- イライラしている
- 悲観的でいる
- 被害者でいる
- 否定的で
- 依存的
母親は娘にとって最初に接する女性。母親は女性の雛形・テンプレートのようなものです。
ところが娘にとって母親の印象は最悪。
この時期に娘は、女性のあり方(女性性)を、母親に投影しはじめるのです。それと同時に、健全に育まれるべき内なる女性性を切り捨ててしまいます。
男性性との自己同一視と仲間集め
第2段階では、ヒロインは次のいずれかの行動を選ぼうとします。
①男らしくなろうとする
②男から愛されようとする
①の女性は、男性と同じように、ビジネスや仕事でのキャリアに邁進し、物質的あるいは金銭的に成功しようと強く望みます。女性性を否定し続け、男性性へのあこがれを抱き、男性的な社会の中で成功しようと突き進みます。
②の女性は、自分のセクシャリティをつかい、男性的な社会を生き抜くことを選びます。男性から素敵だ・美しい・かわいいと思われるよう、いわゆる、愛される女性になります。しかし、ここでいうセクシャリティは、女性の内側から溢れてくる本来の女性性ではなく、男性社会(あるいは男性)から求められる女性性です。計算高かったり、あざとい女性は、おなじ女性からは嫌われますが、男性からすると好まれるあの現象?です。
①は逆に、男に媚びる②が大嫌い。しかし、①も②も、男性性に対してあこがれを抱いている点では共通しています。
つまり、第一段階で自らの女性性を分離させたヒロインは
①父・男性を手本にし父親のようになろうとする
②父・男性から愛されることを目指す
ことで、男性社会での成功を目指していきます。
女性にとっては、「偽りのヒーローズジャーニー」を歩むのです。
第二段階では、男性からの関心や評価に依存するため、ビジネスで成果を出せないことや、上司から見放されることや、パートナーから自分の魅力を否定されると、かなりの精神的ダメージを受けることになります。
試練の道
第三段階でヒロインは家を出て自分探しの旅をはじめます。人生のこたえを誰かに見つけてもらうことはできません。ヒロインが試練の道を一人で歩くのは、自身の弱さを克服し、強くなるため。問題に出会ったら他人のせいにせず、自分を見つめる時。自分の真実を示す剣をとり、自分の声を見つけ、自分の道を歩み、大切な宝を見つけようとします。
ヒロインは幼い頃から、なんとなく「人に幸せにしてもらう」といった意識で育ちます。しかし、本来はもっといろんな選択肢があります。真実は、人に幸せにしてもらうのではなく、「自分の選択一つ一つが幸せを創造する」のです。そのことにうっすらと気づき試練の道を歩み始めます。
試練の道は、安心安全な世界で守られて暮らすことが女性のすべてではないことを発見していく旅でもあります。
成功の幻想
女性がヒーローズジャーニー(英雄の旅)で成功していくためには、女を捨てる必要がありました。
男性と女性では、性質も体力も違います。男性優位の社会の中で、女性が同じように努力したとしても、なかなか成果を残せないのは当然なのかもしれません。この社会構造の中で繰り広げられる競争の中に飛び込むことは、女性が自ら女性性を否定することになります。
女性の内側にある男性的な側面(男性性)が強ければ、競争の世界が快感だったりするかもしれません。しかし、多くの女性は途中で脱落してしまいます。社会の競争を勝ち取ったごく一部の女性に対し、そうなれない自分に劣等感を感じます。
一方、男から愛されようとすることを選択した女性にとっても、勝ち上がっていくのはとても難しい。比較の中で生きているため、自分よりも若くて美しい女性は五万といるため、勝ち抜けるのはごく一部。ここでも、自分より若くて美しい女性に嫉妬や劣等感を感じます。
いずれにせよ、ここで勝ち抜いたとしても、脱落したとしても、結局同じように満たされない感覚に襲われます。なぜならば、自分を偽って生きているから。社会が求める一般的な「これが成功」「これが幸せ」といった、あるいは自分以外の誰かの価値観(男性的な社会の価値基準)に合わせ、女性である自身が本当に求めていることではないからです。自分の欲求を満たすこと以外に、本当の成功や幸せを得られることはありません。
男性的な成功を求めて、「私以外の私」になろうとして、自己実現は実を結ばないし、心と魂が満たされることは決してありません。
拒否する強さ(精神の乾きを知る)
男性の基準に人生を明け渡した女性は、生き方を変える必要性に気づく時が来ます。
単に仕事を辞めて家庭に入るのではなく、新しい選択肢が必要なことに気づき、同時に何かに裏切られたように感じます。
「いったいこれは何のため?なぜ、こんなにもむなしいの?私は目標を全部達成してきたのに、ただくたびれて、自分を偽って、自分の中の何かを失ったみたい」。このしっくりこない感じは、身体からの最初の警告だそう。
これまでの成長過程で魂や心の一部を失った女性たちは、「なぜ?」と裏切られたように感じます。大人たちが自分に生き方を教えたのではなかったのか。「よい」娘になれば「父」が面倒をみてくれるのではなかったのか。それなのに、孤独で不愉快で、底が抜けたように感じる。この世界は自分が思っていたのとは違いました。
ヒロインは憤るけど、やり直さなくてはいけません。支配される生き方を返上し、自分で生き方を選ぶのです。
この段階で必要となってくるのが、「拒否する強さ」です。自分の違和感に気づき、また、男性社会の中で成功したように見えたとしても、それが本当に自分の望みではないならば、勇気をもって拒否していかなければいけません。
しかし、ノーと言うのは簡単ではありません。なぜならば、選ばれるとうれしいから。相手が権威者なら特にうれしいのです。自分よりも父親や上司、同僚や恋人の反応が気になります。でも、自分の中の純粋な心はごまかせない。自分が楽しめないのは苦痛です。
相手を喜ばせるのをやめても、父親は「偉いぞ。さあ、お前の道を歩め」とはめったに言わない。大抵「どうして断るんだ」「がっかりさせるな」「途中で投げ出すのか」「大変だからって逃げるのか」などと言う。耳が痛い言葉。他人の評価に依存する人にとっては、特につらいでしょう。しかし、弱ってつらいときこそ真の成長ができる。
女神への通過儀礼:通過儀礼と女神への下降
つらくて苦しい「絶望の底」へと落ちていくプロセスは、女神(本当の自分)へと生まれ変わるための通過儀礼です。
これまでの人生に行き詰まり、さまざまな強制終了の現象によって、人生のやり直しやリセットが起こります。身近な人の死。娘や母、恋人や妻などの役割が終わる時。病気や事故。異動。転居。などなど。
「絶望の底」にいるならば、そこからぐいっと這い上がるよりも、沈むだけ沈み、底をタッチする勢いで成長していくプロセスがある気がします。
『人は暗闇の中で生まれ変わる』
私自身の体験もそうだったし、大きく変容するプロセスを歩む女性はみんな”闇落ち”し、いちばん底まで落ちて、そこから生まれ変わっています。
これこそが、本当の自分へと生まれ変わるための通過儀礼であり、ヒロインの旅の始まりなのです。
女性性を見直す
女性の本質を修復したくなるのは父の影響を捨て去った後です。その頃、女神や母、自分の中の少女らしさへの渇望が生まれ始めます。これまで置き去りにしていた自分の身体や感情、魂の大切さに気づきます。心のなかで生きていた父との間で未解決だった事は、本来の自分が何かを教えてくれるでしょう。
母/娘の分離の修復
この段階では、母との断絶を癒すことになります。「ヒロインの旅」の最大の難関と言えるでしょう。
女性が、母を嫌い、否定することは、内なる女性性の否定を意味しています。
ヒロインは、幼少期・思春期に、母に対して女性性の闇の部分を投影します。
心理学者のカール・ユングは、これを「内なる母」、シャドー(影)と呼びました。
母の中に見ている、
- いつも怒りっぽい
- イライラしている
- 悲観的でいる
- 被害者でいる
- 否定的で
- 依存的
などの特性は、本当は、ヒロイン自身のものです。母親に見ている特性は、自分の愛せない部分なのです。(鏡の法則)
けれど、そういった「女性性の闇の部分」を自分が持っていることを認めたくないから、母親という「鏡」に投影して、自分と母親を切り離します。
つまり、ヒロインが切り捨て分離してしまったものは、母親ではなく、自分自身の女性性。そのため、母親との断絶を癒すことは、失われた自分の内なる女性性(女らしさ)を取り戻すことに繋がります。
そして、それは、ヒロインが、ほんとうの自分(=女神)へと戻っていくために、いつか直面しなければならない、大きな試練なのです。
女性性を取り戻す
かつては、女性とは、神聖視され、リスペクトされる存在でした。男性も、そして、女性自身も、女性性の価値を十分に認めていました。そんな「女神信仰」「女神崇拝」の時代があったのです。
しかし、男性社会(父系社会)は、女性性の力を奪い、その価値を破壊して、地に落とします。そして、女性も、それに追従するように、自分たちの価値を見失ってしまったのです。
自らの体や、セクシャリティについて、罪悪感や恥を感じる女性も少なくありません。
「英雄の旅は、ヒロインにも当てはまるが、失なわれた女性性の癒しが必要だ。」
とジョゼフ・キャンベルも言います。ヒロインには、女性性を癒し、女性性の価値を取り戻すことが求められるのです。
聖なる結婚
「ヒロインの課題は勝つことではない。受け入れることだ。」と言うように、「ヒロインの旅」の最終目的地は、自分の内側で失われてしまったパーツを取り戻して、「全体性」へと戻ること。ヒロインの旅は、スピリチュアルな探求なのです。
本の中では、全体性に戻ることについて、「聖なる結婚」(ヒエロス・ガモス)という言葉が紹介されています。「女性性」(母親)と「男性性」(父親)いう、正反対のもの同士が統合することを、意味するギリシャ語です。「インナー・マリッジ」(内なる結婚)と呼ぶ人もいます。女性の中にも、男性性があるし、男性の中にも女性性がある。ヒロインは、自分の内なる女性性と、男性性を統合したときに、完全な存在となり、「ほんとうの自分」へと目覚めることができるのです。
男性性と女性性の統合
本でモーリーン・マードックは、「ヒロインの旅」をこう締めくくります。
「女には世界を変える力があると私は思う。
自らの女性性と男性性を修復すれば、地球の意識もきっと変わる。
全体と癒し、バランス、共存を重んじる意識と。
自分が知ったことを息吹に乗せて世界へ返し、均衡を回復させたい。
私たちは巡礼者、皆共に旅をする。
見えるものと見えないもの、すべての命を尊び守るために学んでいる。
私たちの英雄的な力はそこにある。」
私が一貫して主張するように、女性にはこの混沌とした世界を変えていく力があると思っています。このパラダイムシフトを少しでもするりと変容させていくのは、女性にしかできないことなのです。
二元の世界を超え、全体性を受け入れ、生命たちの意識の目覚めを促すのは、女性性の役割です。
目覚めたヒロインは、男性のように破壊と構築を繰り返したりしません。敵や味方もなく、そのすべてを自らの一部として統合していく力があります。男性性と女性性を統合させる、二元性を超越した新たしいリーダーシップを発揮する女性が、新時代を創造していくのではないでしょうか。
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