小学4年生のとき、絵画コンクールで賞状をもらったことがある。
僕は絵を描くのが苦手で下手だと思っていたから、めちゃくちゃうれしかった。
うれしくて、うれしくて、早く帰って母親に報告したくて、小走りに下校したのを覚えている。
帰りながら、母親が目一杯の笑顔で褒めてくれているのを想像しながら、ニヤニヤしていた。
僕「おかーさーん!ほらっ!すごかろう(賞状を見せる)!!」
母親「何それ?誰でももらわれる賞状やろうもん。ちょっと忙しかけん、あっち行っとかんね」
僕「・・・(絶句 & ショック)」
当然褒めてもらえると期待していただけに、とってもショックだった。
それと同時に、勝手に褒めてもらえると想像していたことが恥ずかしくなって、涙も出なかった。
ショックを受けた僕は、とっさにテーブルを “ガンッ” と蹴って不機嫌さを態度で表した。
母親「蹴りなさんな!バカちんがっ!!(頭を引っ叩かれる)」
この辺りを境に「褒めてほしい」という本音を言わなくなったような気がする。
愛する人から興味関心を寄せられないことは恐怖でしかない。
本当は褒めてもらうことで興味関心を寄せたかったのだけれど、まったく相手にされなかった。本望ではないけど、不機嫌な態度をとり僕に注目してもらうことで、最悪の無関心を避けることができたんだろう。
翌年、小学5年生の時も賞状をもらった。市の美術館に掲載してもらえるものだった。4年生の頃よりも大きな賞だ。
もちろんうれしかった。でもそれを母親には報告ぜず、賞状を机に隠していた。またあのショックを受けたくなかったんだろう。
しかし、しばらく経って、その隠していた賞状が母親に見つけられてしまう。今度は褒めてくれた。
うれしかった、うれしかった、本当はね。
でも、賞状を見つけて褒めてくれた母親の目の前で、僕はその賞状を破り散らかしたんだ。
興味関心を寄せる術を、【本音を伝える】方法から【不機嫌で伝える】方法になっていた。
それからというもの、恋人でも友達でも家族でも、
僕の方から「連絡をしない」「何もしない」「不機嫌でいる」ことで、相手に心配や不安をかけて興味関心を持ってもらおうとすることが多かった。
本音はただ「会いたい」「どうしてる?」「寂しいよ」ってだけで、それを伝えればいいのに。
引き寄せの法則や願望実現法、自己啓発や目標達成法など色々あるけれど、自分の本音がわからないと、どれだけメソッドを取り入れても自己実現は難しい。
人生の目的は「やりたいことをやって体験することだ」と思っている。でも本音がわからないと、その「やりたいこと」が見つからない。
人がやっているから、得するから、社会から(人から)承認されるから・・・
そんなことがベースにある「やりたいこと」をやっても、不一致を感じたり消耗したりする。たとえ実現できたとしても。
本音を見つけていく方法はただ一つ。
モヤっとしている(違和感など)身体感覚に気づき、「本当はどうしたいの?」と自分に語りかけていくこと。語り続けていくこと。
本音が見つかった時に、ぽかんとする人もいるかもしれない。
なぜなら驚くほどシンプルだから。
あなたがもしパートナーに、
「なんでずっと連絡しなかったのよ!」と言ってるならば、「ただ声が聞きたかった」が本音かもしれない。
「私と仕事、どっちが大切なのよ!」と言ってるならば、「ただ一緒にいたいの」が本音かもしれない。
あなたがもし、やりたいことがわからない、いつも違和感を感じているならば、「本当はどうしたいの?」と自分に語りかけてみてほしい。
賞状を破り散らかして興味関心をひくようなこと(笑)をやっているならば、「本当はどうしたいの?」と自分に語りかけてみてほしい。
本来の自分をただまっすぐ生きていきたいと思う。