子どもの頃、プールで泳いだ後、蛇口が上向きになった噴水で目を洗っていた。

あれ、けっこう苦手で体中に力を入れて「えいっ!」てやってた記憶がある。

今朝ヤフーニュース見てたら、ショッキングなニュースがあった。

【“過去の遺産?”プールで目を洗う蛇口「洗眼器」目のトラブルの可能性も・・・】

ニュースの内容をかいつまんでいうと

・今や使う人はほとんどいない
・目を保護する角膜を傷つける可能性がある
・ゴーグルあるし

記事の中で医師がこう言っている。

「洗眼器ですけど、水圧が強かったり弱かったり様々ですが、角膜の表面にある保護する膜を洗い流してしまうという形で、逆に角膜に傷がついてしまうのも否定できません」

また日本眼科医会でも2008年に、

「目の周りなどを簡単に洗う対応は必要ですが、積極的に推奨するものではない」

だそうだ。

子どもの頃、プールの後あれだけ洗ってきたのに、やっちゃダメな行為だったという。。なんとも。

おれの青春を返してくれ(笑)

ちなみに、プールに入る前に腰ぐらいまで浸かってた「腰洗い槽」。

あの塩素系のツンとくる匂いのやつで、下半身を消毒してたよね。

ここでまたショッキングなニュースなんだけど。

調べたらこれまた無意味なやつやったとよ。

2001年に厚生労働省が調査したところ、「数十秒間の適切なシャワーと同程度の殺菌効果しか持たない」ことが判明したとか。

おいおい。

プールの時、我慢して毎度あの塩素地獄風呂に浸かってきたのに。

おれの青春を返してくれ!

とまぁ、そこまで思ってないにしても、

本当はまったく意味ないのにやってることって未だにあるんじゃないかなぁと考えさせられる。

実は、やらなくていいことやってるんじゃないか

実は、やらないといけないことやってないんじゃないか

探せばボロボロ出てきそうだ。

でも、なかなか顕在的に浮上させるのは難しいかもしれない。

だって、当の本人が「それが当然だ」と思い込んでいるから

洗眼器の話でいうと、わざわざ大人たちが、蛇口を上向きにひっくり返してでも作ったものだから、目を洗わないとやばいことになるんだろうな、って思ってたもん。

それが当然だって思っとったもんね。

そうやって『思い込み』って無意識なもんだから、自分が気づかないところでバリバリに制限かけて、可能性を狭めていたり、低く見積もってたりする。

バイロン・ケイティが、

「それは本当だろうか?」

と問いを投げかけることで自分に制限をかけている考えを手放していくことを教えてくれた。

じゃ、その問いを投げかけるべき「自分に制限をかけている考え」を拾えるかどうかがポイントになってくる。

目に見えない心(考えなども)の分野だから一見掴みどころがなさそうだけれども、

洗眼器や腰洗い槽のように、事象として現れているものに、

「それは本当だろうか?」

と問いを自分に投げかけ続けることって、意外と大切なのかもしれない。

自分がやっている仕事でも、

「これって本当に喜ばれているんだろうか」
「もっと良い提供の方法はないんだろうか」
「改善したほうがいいんじゃないだろうか」

そんな問いを投げかけていくことに、自分の拡大成長がきっとあるんだな。

さて、あなたは今日どんなことに問いを立ててみる?