7月13日。
親父の一周忌だ。
Facebookのお友達はご存知だろうけど、親父には遺骨もお墓もない。
お袋が信仰している宗教がそういう考えなんだ。
この1年。エネルギーがほとんど湧いてこなくて必要最低限の活動にとどまっていた。
親父が背中を通して見せてきた男性性のエネルギーは、思っていた以上に僕に影響を与えていたみたいだね。
潜在意識は喪に服していたんだろう。
仏教の流れでいくと、葬式を終え、初七日があり、二七日・・・、百か日、一周忌と、ゆっくりと別れ、ゆっくりと心の整理がついていく。
親戚の法要で当たり前のようにこれを経験してきた。
でも一番身近な親父だけそれができなかった。
戸惑った。
40過ぎても戸惑うことってあるもんだね。
『お墓がなくても目を閉じれば、いつもそこに親父がいる』
そんなの分かってる。分かってるけど。
昨夜、親父の一周忌を意識した瞬間こみ上げてきた。
「◯ソッタレが!勝手に死ぬな!」
「一緒に酒のむって言いよったやんか!」
「そんなグダグダな情けない人生のまま死んでよかとや!」
ハッと我に返る。
どうやら、親父の人生を『グダグダで情けない人生だ』と勝手にジャッジしていたみたいだ。
あぁ、僕は僕自身に『オレの人生はグダグダで情けない人生だ』とジャッジしていたことに気づく。
親父が生きている時は、親父の人生がどうとかあまり考えたことなかったけど、いなくなったことで、親父の人生ってどんなものだったんだろうといつも思っていた。
この1年のエネルギーが湧いてこない感覚は、これが原因だったのかもしれない。
いなくなってもこうやって僕に向かい合わせてくれる親父がいた。
どんだけ愛なんだよ、親父。
今朝の瞑想は瞑想にならなかった。
目を閉じ数分たった頃、なんともいえない『大丈夫だ』という感覚に包まれた。
ハートからにじみ出るように湧いてくる温かい感覚。
やさしさといい、温かさといい、それは間違いなく親父だった。
涙が溢れた。声を出して泣いた。
親父、親父の人生グダグダじゃなかった?
『あぁ、大丈夫だ』
悔いは残ってない?
『あぁ、大丈夫だ』
おれ、この1年全然ダメだったんだ
『あぁ、大丈夫だ』
この先やっていけるかな?
『あぁ、大丈夫だ』
おれ、まだまだやりたいこといっぱいあるんだ
『あぁ、大丈夫だ』
しばらく温かい感覚と対話して、一寸のくるいもなく完全に大丈夫なんだというエネルギーに包まれていた。
だから僕の屋号は「OKness(ありのままで大丈夫だという感覚)」だったんだ。
対話後に「親父、最後にメッセージがあればカードを通して伝えてくれる?」
と、引いたカードは【THE FOOL】。
閃きに従ってただまっすぐ進むだけだ。
今朝のこの出来事が、僕と親父の法要であり供養になった。
こうやって遺骨もお墓もない親父とのわかれを受け入れゆるすことができた。
このどうしようもなく、掴みどころのない一件を、愛で包みやさしく手放すことができた。
親父、ありがとう。見守っていてね。
最後まで読んでくれてありがとう。