毎日15時前後に、ある決まったことが起きる。
それは、ソワソワした感覚。
このソワソワ。随分ながい年月をともに過ごしている、馴染み深い感覚なんだ。
15時になると、極端に集中力がなくなり、落ち着きがなくなる。仕事をしていても、読書してても、友達と過ごしていても、どんなときも。マッキー。
ふだん仕事をしていてソワソワしてくると、ウメに抱きついたり、ゴロンと昼寝したり、おやつ食べたり、散歩にでかけたりしている。
ぶっちゃけ、ソワソワに対して向き合ってこなかった。
ソワソワしてくると、無意識に気をそらして、何か他のことをやって紛らわせていた。
午後に少し疲れがたまって、気分転換するにはちょうどいい、なんて都合のいいように解釈して、なんとなくやり過ごしていた。
でも昨日に限っては、このソワソワが異常に気になって仕方なかった。
いつも通り15時過ぎにこのソワソワが襲ってきたので、思い切ってこの感覚の中に入ってみることにした。
リクライニングを倒してリラックス状態に。
少しずつ鼓動がはやくなってきて大きくなっていく。
呼吸が浅くなっていくのを観察する。
すると ”みぞおち” あたりがキューッと緊張し始めるのをキャッチできた。
無意識に歯を食いしばっていて、若干の顎の疲れも感じる。
あまり良い心地ではない。
この体感覚に言葉を与えてみたら何と言うんだろう・・・
そんなことを思っていると、
「ちゃんとやれよ」「さぼんなよ」「目立つなよ」
と聞こえてくる。
でももっと奥の方からは、
「たすけて・・・」
と言っているように感じた。
あきらかに怖がっている。恐怖とその中に不安もある。
お腹の緊張もさらに強くなる。
ドン、ドン、ドン、ドン・・・
心臓が耳の真横で鼓動を打っているくらい強く感じる。
するとある記憶が蘇ってきた。
6歳の時、昼寝をしている時に母親がじっと僕を見つめている記憶。
優しい眼差しとかそういうのじゃなく、監視・干渉のような質の目線。
8歳まで昼寝を強制させれていた。
学校から帰ってランドセルを置いたらすぐにでも遊びに行きたいんだけど、「昼寝していきなさい!」と言われ、泣く泣く40分ほど毎日昼寝をしていた。
寝れるはずがない。だって遊びに行きたくてうずうずしてるんだから。
薄めでそーっと母親の方を見ると、じっとこっちを見ている。あの記憶。
母親としては健康のためよかれと思いそうさせていたんだろう。
でも、僕にとっては【自由を奪われる】象徴的な出来事だった。
母親の過干渉の記憶が、さっきの
「ちゃんとやれよ」「さぼんなよ」「目立つなよ」
といった、『周りの目』になって僕の自由を奪っている思い込み。
ちゃんとやらないといけない、努力しなければ認められない・・・
僕のエゴを形成している割とコアな部分。
そして、
「たすけて・・・」
という声はきっと、やりたいことがやれないような、自由を奪われる内なる女性性の声なんだろう。
昼寝していた時間は、14時から15時くらいだったように思うと「なるほど」と合点した。
『15時のソワソワ』の源泉に触れた気がした。
すると、
ドン、ドンと大きく鼓動しながら、体中の毛穴が ”ふわっ” と開いて、じわっと汗ばんできた。
体から湯気が出てるんじゃないかって思うくらい、蒸気が体から出ているようだった。
やがて体は落ち着き始め、ゆっくりとした呼吸に自然とシフトしていく。
このとき、なんとも言えない心地よさに包まれていた。
風呂上がりの爽快感のような、
ゆりかごにゆられながらそよ風にあたってるような、
ただただ至福な快感に包まれていた。
何が起きたかなんてどうでもいい。
わかろうとしなくていい。
ちっぽけな思考で、いつも意味を見出そうとするから先に進まない。そこに人間がわかるような意味はない。たぶん。意味はないのに勝手にわかろうと適当な意味付けするから、それがまた「悩みの種」となり、停滞していまうのかもしれない。
ただただ、僕の命が『15時のソワソワ』を完結させて、次のステップへと進もうとしているだけなんだろう。
僕はこの波にただただ乗っていくだけ。
体感覚を通じて、38年以上も体に残っていた【15時のソワソワ】を燃焼して通過させていった。
そんな体験をした日記ブログでした。